東インド会社は世界初の株式会社といわれ、現在の株式会社の基礎となっています。実は東インド会社と言われる会社は、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社の2つが存在します。
このうち、世界初の株式会社といわれるのが1602年に誕生したオランダ東インド会社です。
しかし世界初の株式会社である、オランダ東インド会社について詳しく知っている人はあまりいらっしゃらないことでしょう。
そこで今回は、世界初の株式会社といわれるオランダ東インド会社についてはもちろん、ビジネスモデルや画期的な取組みについても詳しく解説していきます。
この記事の目次
東インド会社が誕生する前のヨーロッパ
世界初の株式会社といわれる、オランダ東インド会社について説明する前に、その当時のヨーロッパの状況を説明しておく必要があります。その理由はオランダ東インド会社が誕生した理由が、当時のヨーロッパの状況に大きく影響しているためです。それでは以下で当時の状況を説明していきます。
オランダ東インド会社が誕生する前の中世のヨーロッパでは、胡椒をはじめとした香辛料が極めて高い値段で取引されていました。実はこの時代は、肉よりも胡椒の値段の方が高かったのです。
よく「中世のヨーロッパ人は肉を保存する目的で胡椒を使っていた」といわれますが、実はそれ以上に、「よりおいしく肉を食べたい」という理由から多くの需要がありました。
しかしヨーロッパでは胡椒は育たず、ほとんどがインド北東部やインドネシアのジャワ島など、アジアのごく限られた地域しか採れませんでした。そのため胡椒を獲得するためには、アジアまで船で出向き、長い船旅を経てヨーロッパまで持ち帰ってこなければならないことも価格高騰の原因だったといわれています。そしてこの当時、アジアを支配していた国がポルトガルでした。
そのためポルトガルが胡椒をはじめとする香辛料を独占しており、ポルトガル以外のヨーロッパ人は、香辛料を買い付けることが困難な状態でした。そこでイギリスやオランダなどの国が香辛料の獲得のため、アジアに進出することを決めます。
当時のオランダは港町が多く、お金持ちの商人が大勢いたことから、貿易が盛んに行われていました。しかし貿易が盛んに行われていたがゆえに、多くの中小貿易会社が乱立し、国内で争う構図ができていました。
これではアジアを支配していたポルトガルに勝つことはできないため、オランダの連邦議会が主導の元、中小貿易会社を統合します。こうして1602年に設立された会社がオランダ東インド会社です。
実はこの2年前の1600年に、イギリスでイギリス東インド会社も設立されています。このこともオランダ人にとって脅威となり、すぐにオランダ東インド会社が設立されたともいわれています。
オランダ東インド会社のビジネスモデル
オランダ東インド会社が設立された目的は、当時ヨーロッパで価格が高騰していた香辛料の獲得のためであることは先述させて頂きました。そして香辛料を獲得するためには、アジアから香辛料を運ぶための船が必要です。
しかし船を作ることは現在でももちろん、当時も莫大なお金がかかりました。そして船を造るだけでなく、航海の途中で難破したり、海賊に襲われたりと金銭的なリスクが大きいことも問題でした。
そこでオランダ東インド会社は、香辛料の獲得のためには常に大きなリスクがあることを理解し、お金を出す人は少人数よりも大人数の方がいいと考えます。そしてここで考えられた方法が株式の発行です。
オランダ東インド会社の株式を発行し、大勢の投資家に株式を購入してもらい、資金を集めます。基本的には1つの航海に対して出資し、無事に船が戻ってくれば利益を投資家に分配して配当を出すというモデルです。
ここでオランダ東インド会社は、長期的な目線と事業を大きく成長させる方法を考え出します。長期的な事業の拡大のために、1つの航海で株式を発行するのではなく、物流拠点をいくつも設けて全ての航海に対して1つの事業として株式を発行するようにしたのです。
このようなビジネスモデルにすることで、投資家にとって利益の回収に時間はかかりますが、長期的な目線で見れば利益を確実に獲得できるモデルを築き上げることができます。これが現在の株式会社の原点ともいえ、5年後も10年後も会社が存続するために、株式を発行し資金調達を行える環境を整えていきました。
これだけでも当時は画期的なアイデアで、大きく事業成長させたオランダ東インド会社ですが、実はまだ細かい点でも成功の要因が隠されています。以下でオランダ東インド会社が優れていたといわれる3つの理由についても解説していきます。
オランダ東インド会社が優れていた3つの理由
長期的な目線で株式を発行して、資金調達を成功させるビジネスモデルを作り上げたオランダ東インド会社ですが、さらに3つの優れたビジネスモデルがあります。
オランダ東インド会社が優れていた3つの理由
- 有限責任制にし、出資者の損失を限定した
- 株式の譲渡を自由にした
- 流通革命を起こした
①有限責任制にし、出資者の損失を限定した
株式会社に出資する出資者は、会社が倒産した時などに対してどこまで責任を負うのかが定められていることが多いです。そのような責任区分を「無限責任制」と「有限責任制」の2つに分けることができます。
まず「無限責任制」とは、会社が倒産した時など、会社の債権者に対して負債の全額を支払う義務を負わなければなりません。もし会社が負債を支払うことができない場合、出資者自身の財産から支払う必要が出てきます。
このため無限責任制では、出資者の支払い能力などを把握する必要があり、企業が出資者を審査するなど手間がかかってしまうことも問題でした。
一方「有限責任制」とは、会社の債権者に対して負債の全額ではなく、出資額に応じて責任を負う義務を負います。つまり会社が倒産すれば、出資金はなくなりますが、それ以上の責任を負わなくてもよくなります。
そしてオランダ東インド会社は、「有限責任制」を導入し支払い能力を限定せず、より広く一般からも出資者を募ることができるようにしました。
お金持ちでなくても出資できるようになったことで市場が活性化し、当時のオランダの取引所では株式のほかに、為替や海上保険、先物取引、金などの商品がいち早く取引されるようになったともいわれています。
②株式の譲渡を自由にした
オランダ東インド会社が誕生する前は、対象の企業の株式を保有すると、それを第三者に譲渡することはできませんでした。現在は誰でも株式を購入、売却は自由にできますが、当時はそのような仕組みがありませんでした。
株式の譲渡を自由にしたことで、自由に株式を売買できる、資金調達も活発化していったといわれています。
③流通革命を起こした
オランダ東インド会社が設立される前は、アジアにある香辛料の獲得のために、長い船旅のために関税や港湾利用料などの多くの費用が発生していました。このような費用が多く発生することは、企業の利益を圧迫するため、なるべく避けたいと考えます。
そこでオランダ東インド会社は、これらの費用を削減するため、流通ルートを独占し利益を最大化できる仕組みを作り上げました。
現在でいえば楽天やAmazonなどがこのモデルを確立させていますが、当時の状況でこのような流通ルートを独占することは珍しく、オランダ東インド会社は流通革命を起こしたともいわれています。
世界初の株式会社!オランダ東インド会社のまとめ
オランダ東インド会社は、その当時では画期的なアイデアでビジネスモデルを築き上げました。
中でも株式の発行は、現在においても影響力が大きく、今の株式の仕組みがあるのはオランダ東インド会社があったからといえるでしょう。