金本位制とは、ある国の通貨の価値(たとえば日本円など)を金に裏付けられた形で金額を表し、商品やサービスの価格を金の価値をもとに表示することです。
一般的には中央銀行(日本であれば日本銀行)が、通貨制度の基礎となる通貨を金貨として発行し、市場に流通させます。しかし、ほとんどの国が財政的な問題や金の産出量の問題などから、市場にその金を充分に供給できなくなり、金本位制は崩壊しました。
実は投資を始める上でも、この金本位制を知っておいて損はありません。
そこで今回は金本位制とはどのような制度なのかはもちろん、どのように広がり、終焉を迎えたのかまでを詳しく解説していきます。
金本位制とは?
金本位制とは先述したとおり、金を通貨の価値の基準として、自国の通貨と金を一定の比率で交換することを国が保証する制度のことです。国は金の交換を望む人に対して、いつでも交換に応じられるように、発行した通貨と同程度の金を保有しておく必要があります。
なぜ金(GOLD)を基準にしたのか
なぜ通貨の価値の基準を金(GOLD)にしたのかというと、金が持つ特徴が理由です。
金がもつ輝きは古代から宝飾品に用いられていました。また1400年程前には金貨、つまり貨幣として使われていました。現在では電子機器などにも使われており、重要な役割を果たしています。
このように金はいつの時代も需要のある資源です。しかし、これまでに採掘された総量はわずか約190,040トンです。なんと、国際基準プール約4杯分位しかありません。とても希少性が高い資源なのです。
参考:田中貴金属工業”金の価値”より
さらに属性が大きく、薄く延ばしたり、分割したり、腐食もしにくいことから管理のしやすさも挙げられます。
そのため通貨の価値の基準としては最適な資源であったのです。
そして金本位制を導入している国は、自国の金の保有量を調整するために貿易によって金の量を調整していきます。
たとえばA国がB国と貿易をする場合(共に法定通貨が異なると仮定)、輸出入については金が使われます。そしてA国が貿易赤字となると、金がB国に流れてしまい、国内の通貨量が減り、国内の所得が減り物価が下がり経済が下降してしまいます。
このような状態になってしまうと、国内にある金が少なくなくなるため、輸入ができなくなり、逆に輸出を増やして金の量を増やします。
そのため各国は自国にある金の保有量を見ながら、貿易量を調整していく必要がありました。
金本位制が導入された経緯
ではどのようにして金本位制が導入されたのかを見ていきましょう。
金本位制が初めて導入されたのは、1816年のイギリスです。当時のイギリスは植民地の拡大に力を入れており、アフリカやアジアなど世界中に多くの植民地を保有していました。当時の世界の中でも財政基盤が安定していたイギリスは、世界各国に対しさらなる経済の主導権の確立をしようともくろんでいました。
当時は産業革命で大量生産の時代となり、世界はまさにイギリスの時代となっていたのですが、他国の通貨の価値に不安を持っていました。これではせっかく効率的に大量生産をしたとしても、他国の通貨不安から商品を容易に売ることができません。
せっかく商品を売って、外貨を手に入れたとしても、その通貨の持つ価値がなければ意味がないためです。イギリスからしてみれば、どれだけ価値があるのかわからない通貨を受取ってもただの紙切れにすぎません。
そこでイギリスは、金1オンスを3ポンド17シリング10ペンス半で取引することを決めました。これに対して世界各国は、イギリスの魅力的な商品を買うためにこの交換レートに賛同し、イギリスとしても金の裏付けにより、各国の通貨不安を消すこともできました。ちなみに日本も1897年に1円=金0.75gで金本位制を導入しています。
しかも金本位制は通貨の価値が安定するというメリットがあります。金本位制の制度下では、円安や円高など為替の変動は発生しません。なぜなら日本であれば、1円=金0.75gで固定されているためです。
このようにイギリスの主導により、金本位制が世界中に広がっていきました。
金本位制を崩壊させた「第一次世界大戦」と「世界恐慌」
イギリスによる金本位制の導入により、世界で貿易は活発化していき、1914年までおよそ100年も続くことになりました。ところがここで金本位制の停止を検討せざるを得ない大事件が起きます。
それは1914年から1918年にかけて起きた第一次世界大戦です。
特にイギリスは第一次世界大戦でも主役となり、大量の戦費を要しました。当然、戦費の捻出には金の保有量に応じた通貨の発行が必要になります。戦費がかさむほど金の保有量が減少し、通貨が発行できなくなってしまいました。そこでイギリスをはじめ、世界各国は金本位制を中断せざるを得なくなってしまったのです。
日本もアメリカと同時期の1917年に金本位制を停止しています。こうして世界各国は通貨の発行量は、中央銀行が調整する管理通貨制度へと移行しました。
それでもその後は、第一次世界大戦が対岸の火事であったアメリカが1919年に、1924年にドイツ、1925年にイギリス、1928年にフランスが次々に金本位制に復帰しました。ところがここでまた金本位制を揺るがす大事件が起きます。
それは1929年にアメリカニューヨークのウォール街で弾けたバブル、いわゆる世界恐慌です。
実は世界恐慌を引き起こした要因は、当時のイギリスとアメリカの世界の覇権争いにあります。まず1925年にイギリスは金本位制に復帰しましたが、当時の主力産業であった繊維、機械、石炭などの産業が衰退し始めてしまっていました。そして国際競争力を失っていき、輸出が減少して貿易赤字となり、金の流出が始まりました。
一方で、アメリカは第一世界大戦後に積極的な金融緩和を進めたことで、世界中からアメリカにお金が集まり始めます。向かった先はアメリカの株式。この時日本もこのアメリカの好景気に乗り遅れまいと、1930年に金本位制に復帰し、金解禁に踏み切っています。
しかしバブルがはじけ、1933年に当時のアメリカの大統領であるルーズベルト大統領は、金本位制を再び停止することを決定させました。
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金本位制は終焉へ
その後、第二次世界大戦が1939年に始まり、再び世界各国は多額の戦費を調達することになります。当然この時も各国は自国の金の流出に苦しむことになります。その後1945年に第二次世界大戦は終戦を迎え、戦後の復興のために世界の主要国が集まり、新たな通貨制度を創設させます。
これがいわゆる「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる制度です。具体的には、当時世界経済の主導権を握り始めていたアメリカ主導のもと、金と米ドルの交換比率を決め、アメリカが金と米ドルの交換を保証するようになります。これを「金ドル本位制」といいます。
アメリカは第二次世界大戦後で世界各国の経済が疲弊する中でも、圧倒的な金を保有しており、各国は金1オンス=35米ドルで米ドルと金で価値を結びつけられた固定相場制を介して、間接的な金本位制が成立しました。
ところが1971年、当時のアメリカの大統領であったニクソン大統領が突然、金と米ドルの兌換を停止するように宣言します。これを「ニクソンショック」といいます。
金ドル本位制は上手くいくと思われていましたが、アメリカの財政・貿易赤字が拡大し続け、自国の金の保有量をはるかに超える米ドルが大量に海外に流出してしまいます。そのため、アメリカは米ドルと金の兌換を保証できなくなってしまったのです。
そしてその後、「スミソニアン協定」により、金1オンス=38米ドルに価値を切り下げるなどしましたが、結局はこれも維持できなくなります。これにより金本位制は終焉を迎え、各国は変動相場制へと移行しました。
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金はいつの時代も価値を持ち続ける資産
金本位制は終焉となりましたが、実は現在でも世界各国は準備資産として大量の金を保有しています。
なぜ準備資産として金を保有するのかというと、もし自国が貿易赤字や通貨の下落などにより、経済にダメージを受けた場合に備えて為替介入という措置をとります。この時に金が用いられるのです。
金本位制が崩壊しても、金はいつの時代も変わらず価値を持ち続ける資産なのです。
金(gold)は不動産などと同じ「実物資産」といわれ、たとえ世界中が不況になっても価値がゼロになることはありません。現在、金(gold)の価格は、新型コロナウイルスの感染が拡大する前に比べ大きく上昇しています。※2020年11月現在